delaDESIGNカルチャー特集では、ナゴヤを多様な視点で深掘りし、ナゴヤならではの文化・文脈を紐解いていきます。
ここで言う「ナゴヤ」とは名古屋市内だけでなく、
名古屋を日常的な生活圏とするエリアのこと。
第2回のカルチャー特集は「ナゴヤと水辺」。
ゆったりとした水辺の風景を思い浮かべながら、目で見る水辺だけではなく、その中に眠る文化の水脈を一緒に辿っていきたいと思います。
ナゴヤの文化は水とともに育まれてきた
名古屋の街中には、滋賀県における琵琶湖のような象徴的な風景となる水辺は少ないように感じます。
しかし、ナゴヤを見渡してみると、私たちの暮らしが実は豊かな水とともにあることに気がつきます。
名古屋の周縁にある庄内川や矢田川、さらに愛知県の西側を流れる木曽三川は、ナゴヤの文化や産業を育んできました。
同じ川の近くでも、上流と下流では異なる文化があります。
反対に、川があることによって広い範囲で産業や文化圏がつながることもあります。
行き来する方法がなかったために、直線距離では至近な対岸とは全く異なる文化をもつ地域も少なくありません。
人々をつなぐことも、分断することもある「水辺」の存在。
生きていくために必要な「水」とその周りで暮らす人々がつくる「街」にはどのような連環があるのでしょうか。
ナゴヤの水辺の物語に漕ぎだしていきましょう。
豊かな水に恵まれた尾張
木材のものづくり文化を生んだ木曽川
長野県に水源をもち、尾張の北西部に流れる木曽川は、上流の木曽ヒノキを運んだり、農業用水として活用されたりと、昔からさまざまな形で恩恵をもたらしてきました。
近代以降は名古屋の水源として、市民の暮らしに必要不可欠な水を安定供給しています。
名古屋は他の都市と比較しても水がおいしい地域として知られ、水不足に見舞われることもほとんどありません。
世界三大毛織物産地となった尾州
明治以降には、木曽川流域の「尾州」(愛知県尾張西部~岐阜県西濃エリア)で毛織物産業が発展します。
日本の尾州は、イタリアのビエラ、イギリスのハダースフィールドと並び、世界三大毛織物産地に数えられるまでになっていきました。
ウールの一大産地としての発展には、大量の水が必要不可欠でした。
自然の恵みを産業に生かしてきた尾州の地域では、良質な水を維持するために独自の水システムを構築しています。
▼尾州地域にある「森保染色株式会社」による紹介サイト
水との共存・防災への視点
水との共存を考える上で、私たちが日頃暮らす街の防災を知っておくことも大切です。
名古屋では「伊勢湾台風」「東海豪雨」の甚大な被害がいまも教訓として語り継がれ、対策されています。
伊勢湾台風では高潮被害や貯木場からの木材の流出による被害が大きかったことから、防潮堤を嵩上げし、貯木場を移転するという対策がとられました。
記憶に新しい2000年の東海豪雨では、名古屋市内各地で浸水被害が多発したため「緊急雨水整備事業」が進められています。
2018年にまちびらきをした港区のみなとアクルスでも、非常時の電源が確保できるエネルギーセンターや、津波避難ビル、巨大な貯水施設を設け、水辺の近くで暮らす市民の安全を守っています。
水辺とともに発展してきた街・名古屋
豊かな水の恩恵を受けてきたナゴヤですが、現在の名古屋に連なるまちづくりには、2つの人工河川が大きく関わっています。
ものづくりの街を生んだ「堀川」
名古屋の中心部を流れる堀川は、名古屋開府の際に福島正則によって開削された人工河川です。
1610年の清州越しにあわせて、当時は海に面していた熱田の湊と名古屋城を結ぶ水運ルートとして堀川がひらかれました。
熱田には東海道の宿場町があり交通の要衝としてにぎわい、「宮の渡し」から海路で伊勢方面へ向かうこともできました。
さらに、尾張藩直轄の木曽で採れた良質なヒノキを木曽川から海に運び、堀川を通じて貯木する仕組みもでき、名古屋の城下町が発展するために欠かせない存在となっていったのです。
現在、白鳥公園になっているエリアにはかつて巨大な貯木場があり、昭和の中ごろまで名古屋のものづくりを支えてきました。
貯木場の跡地は1989年(平成元年)の世界デザイン博覧会のメイン会場となり、現在はセンチュリーホール(名古屋国際会議場)や名古屋学院大学となっています。
近代名古屋の発展を支えた「中川運河」
中川運河は1932年(昭和7年)に完成した人工河川です。
国際的な港として発展を遂げようとしていた名古屋港と、陸路での物流拠点であった旧国鉄笹島貨物駅(現在のささしまライブ付近)を結ぶ水運ルートとしてつくられ「東洋一の大運河」と謳われるほどの規模だったといいます。
当時、すでに堀川は活用されていましたが、キャパシティー不足や潮位の影響を受けると潮待ちが必要であったことから、大規模な運河を整備することになりました。
中川運河は運河と港の境目に「中川口閘門」、中川運河と堀川を結ぶ東支線に「松重閘門」があります。
閘門があることにより、潮位の調整が可能になり、潮位の異なる海や別の川との間をスムーズに行き来することが可能になりました。
まだ今ほど環境への意識がなく、経済的発展を追い求めた時代には水源をもたない中川運河では水質汚染の課題もありました。
現在では、導水や空気を循環させて酸素濃度を維持する仕組み、露橋水処理センターの整備などさまざまな対策が行われ、水質は改善へと向かっています。
水運から陸運へと時代が変化し、現在は1日に数隻の往来のみとなった中川運河ですが、現在では「中川運河再生計画」の取り組みが進められ、アートイベントや施設の誘致などで新たな憩いの場へと生まれ変わりつつあります。
今回の「ナゴヤの水辺」特集では、変化する中川運河の景色を撮る写真家の坂田健一さんのインタビューと、中川運河の景色が水上から楽しめるクルーズなごやについてご紹介します。
『ナゴヤの水辺』特集記事を読む
今回は、ナゴヤの水辺で活動する人・コト・風景にスポットを当てて特集します。
身近な街の風景を思考で撮る。中川運河に内包された記憶を写す「流れない河」シリーズー写真家・坂田健一さんインタビュー
フィルムカメラで中川運河を撮影し、暗室でカラー手焼きするという珍しい手法で「流れない河」シリーズを制作している、写真家の坂田健一さん。
抽象度の高い「流れない河」シリーズの作品は、中川運河の水そのものを使って独自に辿り着いた技法と思考によって誕生しました。
今回は制作に至るまでの過程と、中川運河に対する想い、そして「思考で写真を撮る」という行為と風景との結びつきについてお話を伺いました。
クルーズ名古屋で日常から船旅に出ようー変化する中川運河から名古屋港へ。水辺を体感して街を再発見するショートトリップ
ささしまライブから名古屋港を結ぶ中川運河を通り、名古屋港ガーデンふ頭を経由して金城ふ頭までを結ぶ水上バスがあるのをご存じでしょうか。
今回はより水辺に親しむべく、定期的に開催されているクルーズなごやのガイド便に乗船してきました。
近年「中川運河再生計画」も立ち上がり、注目を集めている中川運河。
変わりゆく風景の中に残る中川運河らしさと、これからの展望についてもご紹介します。
-きっと水辺が好きになる- 季節問わず愛知県を走り回るフォトグラファーが『ナゴヤの水辺』にみる美しい夜景や風景を追いかける
NAGOYA LIFE in frameでも連載をしているあーるさんによる、ナゴヤの水辺案内。
フォトグラファー目線で見たナゴヤの水辺の魅力をたっぷりとご紹介しています。
アーバンな水辺も、レトロな水辺も見つかるナゴヤの水辺を探してみませんか?
編集後記
水辺には少し異なる時間が流れているように感じます。
風によってさざ波が立ち、潮の満ち引きによって変化する水面、空や風景を映す鏡のような水辺は、ただぼんやりと眺めているだけでも心が落ち着くという人もいるのではないでしょうか。
今回はナゴヤの水辺を特集し、主に名古屋市内の水辺にフォーカスして取材を進めてきました。
それぞれに守りたい景色や、愛着を持っている景色の中にある水辺についてお話を聞きながら、読んでくださる読者の方にもきっと心に残っている水辺の風景があるのではと感じるようになりました。
それぞれの思い描く水辺の中に、風景の変化があるはずです。普段何気なく見逃してしまう身近な景色にももう一度目を向けるきっかけとなればうれしいです。
また、今回の取材に際してご協力いただきました方にもお礼申し上げます。
ありがとうございました。