2023年夏、中川運河ギャラリーで「流れない河」という写真展が開催されました。
元・ガソリンスタンドの事務所を改装したというギャラリーの1階には、中川運河の風景写真が、そして2階には幻想的な抽象画のようにも見える写真が展示されていました。
「流れない河」と名付けられた作品シリーズは、不思議なゆらぎの中に、誰かの声が聞こえてくるようなひそかな存在感を放っています。
「流れない河」シリーズを制作したのは、名古屋市在住の写真家でフィルム手焼きプリンターの坂田健一さん。
写真を撮るだけではなく、自室の暗室でカラー写真を手焼きするという珍しい手法にこだわって制作を続けています。
自宅の暗室でフィルム写真をカラー手焼きし、中川運河の水を使ってたった1回しか表現できない作品が生まれます。
今回は、なぜ中川運河の作品制作をしているのか、そして、どのような思考で作品や運河と向き合っているのかというお話をたっぷりとうかがいました。
撮ることを通じて街とつながるー「流れない河」シリーズの作り方
――今回「流れない河」を拝見し、ただ撮るだけではなく、街との関連や「撮る行為」を通じた身体性を感じさせる作品が特徴だと感じました。改めて「流れない河」シリーズについてお聞かせいただけますか?
まず「流れない河」シリーズは実際に運河の水を持ってきて、自宅の暗室で焼いています。
今はデジカメで撮る写真は形のない「データ」として扱われますよね。それに対して、金属や運河の水など「物質」を使った写真のことを「物質性」という言い方をします。
暗室で引き伸ばし機に光を当てるときに、葉っぱを置くとそこだけ光が当たらないので、葉の形が白く写り込みます。これは専門用語でフォトグラムと言うんですが、手焼きでないと表現できない技法になりますね。
運河の水を持ってきて、水の中に印画紙を沈めて焼くという方法も、手焼きでしか再現できない方法になります。
なので、厳密な意味では、同じネガを使っていても波うち加減や葉っぱの散らばり加減を含めると1点しか作れない作品です。
――計算で再現できないということですよね?
そうそう。波のゆらぎとかは完全に同じものにはならないですよね。
暗室手焼きというのは、白黒をやっている人は世の中に結構いるんですが、カラーで焼ける人はあまりいなくて。
白黒とは薬品が違うというのもあるし、色の三原色をコントロールしなければいけないので、その点が難しいですね。
――ご自宅に暗室を作っているというのは、どうやって焼いているんですか?
水を使うので、キッチンやお風呂場で焼く人が多いですね。
僕の場合はキッチンでやっていて、引き伸ばし機のバットに中川運河の水を浸して、バットの中の印画紙に光を当てます。
その後に、薬品が入ったバットに印画紙を浸すと像が浮かんできます。
その作業を真っ暗な部屋の中でやっているということですね。
――個展でお会いした際に、運河の水を使っているから表現をコントロールしきれないというお話がとても心に残りました。
カラーで手焼きをする難しさに加えて、運河の水に浸すという特殊な焼き方をしているのでコントロールしきれないんですよ。
そのコントロールしきれなさをそのまま作品として出す、みたいな。
ちょっと計算と違うものが出てきたけれど、その偶発性が面白いということもありますよね。
「流れない河」シリーズが生まれるまで
――どうして中川運河の水を使おうと思われたんですか?
最初は中川運河のストレート写真を撮っていたんですよ。2023年7月の個展でも1階ではストレート写真、2階は「流れない河」を展示していました。
ストレート写真をやりながら、もっと中川運河の水を表現したいなと思って。
中川運河の水そのものを使うというアイデアは聞けばそれだけの話なんですが、結構試行錯誤もしていて。
最初はジェルを使って水に見立ててみたりとか。
――それはバットにジェルを入れて浸していたんですか?
まだそのときは、印画紙を浸すという思考にまで至っていませんでした。印画紙にジェルをベタッと塗ったりしてましたね。
自分の思考が中川運河の水に印画紙を浸すという方法に辿り着くまでには少し時間がかかりましたね。
運河の水を使うアイデア自体はあったんですが、その時点では技術的に納得のいくものを作ることがまだ難しくて、いろいろ試しながら悩んでいました。
――今の形にするまでにはどれくらいかかったんでしょうか?
1年くらいかなあ。去年(2022年)はまだジェルを使っていて、その作品も出したんですよ。
中川運河の水を使った作品ができるようになったのは、2023年の1月です。
その後くらいのタイミングで、中川運河ギャラリーのオーナーの森さんに展示のお声がけをいただいて。まだ「流れない河」はできたばかりだったから、多分ストレート写真の方で展示しないかというお話だったと思うんだけど(笑)
ちょうどできたばかりの作品を評論家の方に見ていただいて、評価をいただいたのもあって、写真雑誌の「IMA」に応募したら入賞もして。
中川運河ギャラリーの展示が終わってからは9月に堀川ギャラリーさんでも展示させていただきました。結構いろんな展開のあった1年でした。
去年(2022年)は割と試行錯誤していたんですが、2023年は「流れない河」シリーズが一つ大きなプロジェクトとして自分の中にありましたね。
やっぱり中川運河の作品を、この中川運河ギャラリーという場所でやらせてもらったというのは大きかったですね。
――中川運河を見せていくことを考えたときに、名古屋の中で展示をやるというのは大切でしたか?
そうそう。今後も中川運河をテーマにした作品づくりをしたら、名古屋で展示もしていきたいですね。
それは森さん(中川運河ギャラリーオーナー)次第なんですけど(笑)
自分は元々はストレート写真ばかり撮っていて、2023年からこういうアート寄りの作品を作り始めました。
そうした作品づくりは名駅にあるフローギャラリー(PHOTO GALLERY FLOW NAGOYA)のオーナーさんにもアドバイスをいただきながら「思考で写真を撮る」という試みをしてきました。
でも、自分は芸大とかで専門的に写真を学んでいないことに葛藤もあって。
初期の実験段階のときはもっと水でぼやけていて、何が写っているのかわからない状態だったんですよ。
まだそれくらいの段階だったときに、グループ展で展示して何となく手応えらしきものはあったんですが…。
僕もまだ「中川運河自体を撮る」ということに思考が追いついていなかったんですよね。
水でもやもやになっているから「下手したらこれただのピンボケ写真じゃん」みたいな(笑)
ギャラリーのオーナーさんがそのまま続けるように後押ししてくれたことや、評論家の方が評価してくださったことで、運河の水を使った作品づくりを続けてこれました。
――2023年1月の「流れない河」発表から約半年後に中川運河ギャラリーでの個展がありました。その間に、どこかで完成形だなと思うタイミングがあったんでしょうか?
実際は自分でも半信半疑だったんですけど(笑)
やっぱり周りのギャラリーの方とか、キュレーターの方に続けた方がいいよと言われたこと、あとはIMAの受賞が大きかったですね。
――他の人がやっていない試みや作品を作っていることで「流れない河」の作品を作っている人だと認識されるようになって、ストレート写真をメインで撮っていたときとのスタンスに変化はありましたか?
そうですね、やっぱり最初は半信半疑でしたけど「思考で写真を撮る」ということをギャラリーの方とかはいいねと言ってくれました。
ただ、思考やアート寄りの写真を見慣れていない人には「何これ?」というのはあったと思うんですけど。
ただ、中川運河ギャラリーさんとかでも展示をさせていただいて「これは芸術作品なんだ」という風に見てもらえる機会が増えてきたことで、自分の自信にもなりましたね。
――今後はアート寄りの作品が増えていきそうですか?
そうですね。でも、ストレート写真も好きなんで、それも両輪で撮り続ける予定です。
写真との出会いは実家で見つけたフィルムカメラから
――写真を始めたきっかけを教えてください。
きっかけは、実家の押し入れからフィルムカメラが出てきたことなんです。それを親から譲ってもらった10年くらい前からかな。
学生のときはまだやってなかったですね。当時はギリギリフィルムカメラが主流で、デジカメが出始めたくらい。若い人には逆にフィルムが新鮮ですよね。
――中川運河ギャラリーの個展期間に「写ルンです」を使ってフォトウォークをされていましたよね。若い世代だとデジカメやスマホで何度でも撮り直せるのが当たり前なので、シャッターを切る1回性の意味もまた違ってくるように感じます。
そうなんですよ。しかも、撮ったその場では失敗しているのかどうかもわからない。だから写真屋さんで現像して、そこで初めて失敗かどうかがわかるんですよね。
物質性の話にも繋がるんですが、今の人は写真をデジカメやスマホで撮って、写真がデータとして、形のないものとして扱われるのが当たり前になっています。
でも、逆にフィルムで1回限りで撮って、紙で焼いてネガに残す。
形として、物質として残ることに意味を見出そうというのが、写真の世界での流れとしてもありますね。
名古屋の都市空間に生まれた記憶を内包する水辺-中川運河を撮り続ける理由
――中川運河との縁はどこから生まれたのでしょうか?
元々、名古屋の大須で育って、一度引っ越した後にまた名古屋に戻ってきました。
中川運河を撮り始める少し前にフィルムカメラと出会っていて、身近なところに運河があったから自然と中川運河を撮り始めましたね。
最初は深く考えてなかったけど、撮っているうちにどんどんハマってしまって。
中川運河って、川なのに地図を見ると街の真ん中を真っ直ぐに抜けているじゃないですか。
作品のタイトルにも「流れない河」とつけているんですけど、中川運河は上流も下流も堰き止められていて、大きなため池のような感じだなあと。
――河口は中川口通船門のところで水位を調整する閘門になっていますよね。
そうそう、だから基本的に流れがないんですよね。潮位の影響を受けない。
流れがないから水面への写り込みも撮りやすいですね。
流れがあるように見えても、実際は風によるものだから、下流から上流に向かって流れているように見えることもあります。
名古屋の街の都市空間を考えたときに、都会の街中なのにそこだけ水が堰き止められていて、時間が止まった感じもします。
にぎやかな街がすぐ近くにあるのに、そこだけ時間が止まった空間があるというのがすごく不思議で。
流れがないということは、言い換えると、昔から生活してきた当時の水がそこにもあるということですよね。
つまり、その当時の記憶が今の中川運河に閉じ込められているんじゃないか、という思考もできるわけで。
だから「流れない河」というのは、物理的に流れないということでもあるし、時間もそこに閉じ込められているという捉え方もできるんじゃないかという意味も込められています。
昔の生活していた人の記憶が閉じ込められているとも捉えられる中川運河の水を使って作品をつくることによって、当時の記憶を写しとることができるのではないか、という試みでもありますね。
――目の前にある風景としてだけではなくて、中川運河そのものに時間が留まっているから、写真を焼いた際に街の記憶が乗せられているということですね。植生を含め、長い時間軸の視点で「流れない河」の作品を作っているというのが伝わってきます。
中川運河周辺に生えている植物を使ってフォトグラムをすることも含め、運河を通して昔の人の記憶も写しこめるのではと思っています。
最初からこの考えにすぐに至ったわけではないですが、実際に作って動いていく中で、だんだんと思考が出来上がっていったという感じですね。
――作るという「行為」も「時間」の一部ですよね。
そうですね。ようやく展示も終わってみて、振り返るとこういうことだったのか、と改めて思考が追いついてくる部分もありますね。
夏の個展のときも、お客さんに展示の説明をしながら「自分はこう考えていたんだな」と対話から気づくこともありましたね。
この「流れない河」は物理的に流れないのもあるし、中川運河の昔の人の記憶も写し撮れたら、ということで今は取り組んでいます。
デジタルの時代にフィルムカメラでの作品づくりにこだわる理由
――具体的には中川運河のどのあたりのスポットがお気に入りでしょうか?
やっぱり昔ながらの倉庫とかの風景が好きですね。
取り壊されてなくなってしまった景色もあるんですが、写真を撮っておいたことで景色としても、撮ったときの記憶も写真に残せたのではないかなと思っています。
フィルムで撮った写真は同じネガで何度でも焼くことができます。
だから、ストレート写真として焼くことも「流れない河」として焼くこともできる。同じ被写体で10パターンとか作ることもできるのが面白いところですね。
――デジカメだとレタッチはできますが、焼き方によって表現を変えることはできないですよね。
ギャラリーの方とかには「坂田くん、デジカメやらないの?」ってよく言われていたんですよ。
暗室でカラー写真を手焼きしている人自体も少ないですし。でも、あんまり僕はデジカメには興味がなくて。
受賞したことによって「坂田くんがフィルムで撮って暗室で焼く意味ができたね」と言われたのはちょっとうれしかったですね。
「流れない河」というのは自分で暗室で焼ける人でないと作れない作品になるので。
――自宅の暗室でカラーで手焼きできる坂田さんでないと作れない作品ですよね。
フィルムで撮ることをできる人はたくさんいますが、自分で焼ける人となると限られてきます。
だから、この作品によって自分も救われたというところはありますよね。
デジカメやらなくてもフィルムに全振りできますし(笑)
――2024年に作りたい作品はありますか?
今は自宅に中川運河の水を持ってきて焼くんですけど、引き伸ばし機を運河に浮かべて、月明かりで焼いてみようかなとちょっと考えています。
より「中川運河そのものを撮る」という行為に近づけるために、運河の月明かりや街明かりで露光して撮るということですね。ギャラリーの人がやったら?と言っているというのもあるんですが(笑)
自分個人としては「流れない河」の精度をさらに上げていくことかなと思っています。思考の部分も含めて。
あとは海外に作品を発信していくこともやってみたいですね。
自分の作品をより多くの人に手にとってもらえたらうれしいなと思います。
取材後記
名古屋の水辺に目を向けると、水運を目的につくられた中川運河はより人の暮らしの営みと近いところにある空間だと感じました。
その時間の流れが「流れない河」という作品シリーズにも水脈となって流れ込んでいます。
東洋一の大運河として誕生し、その役目を終えたあとも環境課題に直面した中川運河ですが、現在は水質改善の取り組みも進められ、水辺空間に親しめるまちづくりも進められています。
堀止(ささしまライブ周辺)の開発も進み、中川運河を取り巻く状況は変わりつつありますが、中川運河の記憶や暮らしてきた人々にも視線を向け、長い時間軸と思考を照らし合わせながら作品制作を続ける坂田さんのお話には街の文脈を知るためのヒントが含まれていると感じました。
自然の河川とは異なる時間を辿ってきた中川運河らしさを見つめ、失われたかつての景色や記憶を写す行為は、身体を通じて街を理解する新たな方法のひとつなのかもしれません。
お話を聞かせていただいた坂田さん、中川運河ギャラリーさん、ありがとうございました。
中川運河ギャラリーについて
今回インタビューで伺った中川運河ギャラリーは、名鉄「山王」駅近くの元・ガソリンスタンドの事務所だった建物をリノベーションして2022年夏にオープン。
現在は定期的に地元・名古屋にゆかりのある作家や作品の企画展を開催。街の風景や建築をテーマにした展示やワークショップ、トークイベントなど多岐にわたります。
開館時間は火・土・日の11:00〜17:00。
入場無料。
現在、持続的なギャラリー運営に向けてクラウドファンディングに挑戦中。
詳しくはインスタグラムをご覧ください。
(2023年12月取材)