ナゴヤ街ブラ都市デザイン

ナゴヤ街ブラ都市学会【西区浅間町】駅周辺を再開発マニアが歩いてみた|歴史の薫り漂う由緒ある地名・美濃路・エスパシオナゴヤキャッスルetc

こんにちは!みー@飛翔です。だいぶ過ごしやすくなってきたものの、まだまだ残暑は厳しいですね。

これを書いているのが9月下旬なのですが、体感的に8月下旬くらい暑いです。
記事がリリースされるのは10月半ばなのでさすがに涼しくなってるかも?

さて今回は浅間町」駅周辺の街ブラです。浅間町というと前特集した今池八事上前津に比べると地味なイメージがあります。

前の3駅には2路線の交差駅になっており、商業的な機能があります。対して、「浅間町」駅周辺はほぼ住宅地。でも歩いてみるとただの住宅地ではなく、歴史の薫り漂う由緒正しき駅であることがわかりました。それでは行ってみましょう!

そもそも「浅間町」駅って?

都心に近い住宅地

「浅間町」駅があるのは、犬山市や日進市など郊外にアクセスの良いイメージのある地下鉄鶴舞線。しかし、市内随一のオフィス街である「丸の内」駅からは北へ1駅と、意外と名古屋の都心にも近い。高層オフィスビルが立ち並ぶエリアから1駅移動するだけで落ち着いた住宅街になります。

名古屋都心のオフィス街は、北側が外堀通まで。それより北に行くと住宅街の要素が強まります。桜通と外堀通の間はグラデーションで、南へ行くほどオフィスという感じですね。

つまり、浅間町エリアは都心に近い住宅地なのです。東山線沿線ほど家賃などが高くない割に、利便性の高い穴場的なスポットかもしれません。

鶴舞線のため名駅や栄に出るのには乗り換えが必要。ですが、直通バスもあり、陽気がいいときは自転車や歩きでもなんとかなる距離です。

幹線道路の上を高速道路が走るおなじみの光景

▲大通りの上をまっすぐ高速が走る名古屋ではおなじみの光景

そんな「浅間町」駅は江川線と国道22号の交差点直下にあります。駅を上がるとこんな景色です。

江川線の上部を高速が、下部を地下鉄が通っています。名古屋ではよくある風景ですね。
ちなみに高速道路は名古屋高速清須線で6号線、地下鉄は鶴舞線は3号線です。

由緒ある名前「浅間町」

「浅間神社」は富士山信仰のための神社

実は「浅間町」というのは由緒ある地名です。もともと浅間というのは富士山を神格化した名前。富士山というのはやはり日本人にとって特別な存在で、信仰の対象でした。それを祀るために建立されたのが浅間神社です。総本社は静岡にあります。同じく富士山を持つ山梨県には「浅間神社」が多数あります。

ということは浅間町にも浅間神社があるのかなと思って街を歩いてみると、ありました!
駅から北東へ2分程度のほど近いところに『冨士浅間神社』が建っています。

▲静かな環境にたたずむ『冨士浅間神社』

「冨士浅間神社」は名古屋城築城にルーツが

もともとこちらの神社は東区富士塚にあったそうです。名古屋城築城の際にこの地に移転してきたそう。当初は名古屋城の普請(工事)の後に元の地に戻される予定でしたが、いろいろあってこの地にとどまることに。それがなかったら浅間町は今頃別の駅名になっていたかもしれませんね。

境内周辺はかなり静かな環境でした。浅間町の街ブラはまずはその名前の由来となった『富士浅間神社』に行ってみるのもいいかもしれません。

かつては専門店が建ち並んだ?「美濃路」の起点

歴史ある街道「美濃路」

さて次は駅の少し北側の交差点を曲がって東方向に進みます。何の変哲もない通りのように見えますが、少し変わっているところもありますね。まず街頭がしゃれています。それからお店が多いです。歩道もカラーリングされています。

▲どことなく歴史的な街道の名残が

実は、ここはかつて「美濃路」として栄えていた通りなのです。美濃路とはかつて東海道と中山道を結んでいた歴史ある街道。江戸時代には多くの旅人でにぎわっていたことでしょう。

美濃路の東海道側の起点は熱田です。そこから現在の名古屋都心を南北に縦貫して、歴史的な街並みが残る四家道を通り、ここ浅間町に達します。

写真のように街灯がしゃれていたり、歩道のカラーリングがあるのはその名残で整備されているのだと思います。現在はそこまで賑わいがあるわけではないですが、ところどころにあるお店もいい雰囲気です。

先ほどの浅間神社も近くにあります。昔は街道を通る人が大勢参拝に訪れていたのかもしれませんね。

歴史の残り香を感じる街

江川線の西側は中山道方面。枇杷島を超え、大垣の西にある垂井に達し、中山道に接続しています。

▲『宝周寺』、『海福寺』、『林貞寺』が建ち並ぶ

この辺りには社寺がいくつもあり、特に「浅間町」駅北西側の住宅街には、お寺が3つ固まって並んでいるところがあります。名古屋城築城後の「清州越し」の際に、街ごと移転してきたようです。

それ以外は住宅が多くかつての名残も少ないのですが、もう少し西に行くと凧の専門店があります。今時こういう伝統工芸みたいな店が残っているのは珍しいですね。

美濃路が賑わっていた江戸時代から凧を作り続けてきたようです。今でも正月飾りや贈答用のために手作りで美しい凧を紡いでいるのだとか。自分も小さいころ凧あげやったのを思い出しましたね。

おそらくですが、江戸時代は美濃路に専門店がひしめき合い、職人が技を競い合っていたのではないかと思います。それが時代とともに徐々に廃れ、店が減ってきたのでしょう。このお店は残ってほしいなあと思いました。

実は『エスパシオナゴヤキャッスル』の最寄り駅

現在絶賛建替工事中!

「浅間町」駅は実はエスパシオナゴヤキャッスルの最寄り駅でもあります。私のブログの読者の方はおなじみだと思いますが、エスパシオとは『旧ウェスティン名古屋キャッスル』の建て替え後にできる高級ホテルのこと。

ブランドとしては興和が立ち上げた新ブランドです。興和はキャベジンなどでおなじみの地元企業ですよね。完成は2025年の予定です。

このホテルに泊まるのに「浅間町」駅から歩いてくる人はいないでしょう。もっぱら富裕層が車で乗り付けるものと思われます。私は取材のときいつも「浅間町」駅から歩きますが(笑)

▲タワークレーン2基で鉄骨がぐんぐん成長中

現在の建設状況はこちら。鉄骨が伸びてきています。私はこの成長中の鉄骨の姿が一番好き。これでご飯3杯は行けます。(高層だとさらにご飯が進む(笑))

賛否両論!?個性的な外観の高級ホテルは2025年完成予定

ところで以前のホテルは普通のビルみたいな何の変哲もない形状の建物でした。次はどんな形になるんだ?と思う方も多いですよね。

▲下は石垣、上は天守?いまだかつてない城のような高級ホテルが誕生

正解はこんな形です!どうですか?まるで天守閣のようですね。前の建物から考えるとものすごい変わりようです。低層部は石垣風、高層部は大天守のような様相です。

私のブログで最初にこれを紹介したときは賛否両論ありました。「今までの名古屋にはない斬新なホテルとして圧倒的な存在感がある」とか、「本物の天守閣のパクリみたいで悪趣味だ」とか。確かにちょっと派手すぎる感じはありますね。ですが、唯一無二のホテルとして堂々たる建物になるのではないかと私は期待しています。みなさんはどう思われますか?

あと、ここが面白いのは、工事現場全体が名古屋城の雰囲気を意識しているところです。
たとえば搬入車用のゲートは「一の門」「二の門」などとなっています。また、タワークレーンも「1番櫓」「2番櫓」と名付けられています。こういう遊び心はいいですよね。工事観察の楽しみ方の一つです。

まとめ:浅間町は歴史の薫り漂う素敵な駅だった!

いかがでしょうか。私も実は街ブラする前まで「浅間町」駅のことをあまり知らず、住宅街のイメージしかありませんでした。ですが、実は昔の神社がたくさん残っていたり、旧街道がすぐ近くを通っていたりするなど、歴史の薫り漂う素敵な駅だったことがわかりました。

そして2025年に誕生する最高級ホテル、『エスパシオナゴヤキャッスル』の最寄り駅でもあります。これから鉄骨が伸び盛り。再開発の点でも見逃せませんね。

* * *

第4弾は以上になります。やっぱり街歩きしていて思うのが、歩いてみてつまらない駅はないということですね!どんな駅にもそれぞれ違った魅力があると思います。
この記事シリーズで街ブラの楽しみを少しでも伝えられればと思っています。
今後もよろしくお願いします。

次回もお楽しみに!

ABOUT ME
アバター画像
みー@飛翔
1996年名古屋生まれ。物心ついたころから都市開発を追っかけています。専門ブログ「飛翔~リニア時代の新しい名古屋へ」を運営しています。地形や街の成り立ちも好き。ここではビルを中心に、街を歩くのがちょっと楽しくなる街ブラ記事をお届けします。