カルチャー特集

近代都市・名古屋のあけぼの【昭和区鶴舞】『鶴舞公園』『鶴舞中央図書館』の1世紀―名古屋の都市景観はどうやって生まれた?そのきっかけに迫る

散歩といえば、身近な公園を歩く人も多いのではないでしょうか。
休日には家族連れがピクニックや外遊びをしていたり、犬を連れた人がのんびり歩いていたり、みな思い思いに憩いの時間を過ごしています。

私たちが普段当たり前のように使っている公園は、一体いつからこの街にあるのでしょうか?
散歩を特集するにあたり、ふとそんなことが気になり始めました。

▲噴水塔から奏楽堂を臨む。

折しも今年(2023年)は鶴舞の地で市立名古屋図書館が開館してから100年を迎えた節目の年。

そう考えると、『鶴舞公園』はもっと古くからあったであろうことは想像がつきます。
そこで、今回は名古屋市民の憩いの場『鶴舞公園』や『鶴舞中央図書館』の誕生から今日までの一世紀を俯瞰してみることにしました。

『鶴舞公園』誕生のきっかけ

名古屋開府300年の一大事業「関西府県連合共進会」

『鶴舞公園』誕生のターニングポイントのひとつが、1910年(明治43年)に開催された「第10回関西府県連合共進会」の会場になったことでした。

1910年といえば、名古屋開府から300年となる記念すべき年です。

こちらは当時の共進会の会場全景。かなりの広さと思われますが、それ以上にたくさんの人が詰めかけている様子がわかります。

当時は富国強兵が謳われ、日本も威信をかけて海外の博覧会などにも出品していた時代。
日本国内でも各地で博覧会が行われ、1883年(明治16年)に始まった関西府県連合共進会も10回目を迎えていました。

こちらは正門の夜景写真。豪奢な雰囲気が当時の写真からも伝わってきます。
「関西」と冠されていますが、実際は西日本を中心に3府28県が参加していました。
当時40万人余りの人口だった名古屋に、90日の会期中に260万人以上が訪れたという記録もあり、当時の人々の関心の高さがうかがわれます。

『鶴舞公園』内にも多数のパビリオンが開設され、会期後も名古屋市に寄付され、現在まで伝えられているものもあります。

現在の『鶴舞公園』との比較については、また後ほどご紹介しますね。

精進川の改修工事が『鶴舞公園』の地を造った

▲「鶴舞」駅を出ると目の前に『鶴舞公園』が広がります。

この共進会に先駆け、1909年(明治42年)には会場となる『鶴舞公園』の造成が決定しています。

『鶴舞公園』からほど近い精進川(現在の新堀川)の改良工事で出た大量の土が鶴舞に運び込まれ、造成工事が行われていきました。

また、交通手段として路面電車の名古屋電気鉄道が公園線を新たに開業。公園線は現在の新栄の広小路通から『鶴舞公園』を経由し、上前津までを結ぶ路線でした。

関西府県連合共進会という一大事業は名古屋市が初めて公園を設置するきっかけとなりました。交通インフラ整備や河川改修工事とも連動しながら、現在の鶴舞の風景を作る大きな契機であったと言えるでしょう。

2005年(平成17年)の愛・地球博(愛知万博)のようなことが、すでに100年以上前の名古屋でも行われ、現在の名古屋のまちづくりにも影響していたのですね。

『鶴舞公園』の今昔物語

残暑厳しい9月の日曜日、実際に『鶴舞公園』を訪れてみました。

開園時に作られたという「噴水塔」や「奏楽堂」は現在どのように残されているのでしょうか?

噴水塔

名古屋市指定有形文化財にも指定されている噴水塔。

▲鳥の憩いの場にもなっています。

噴水塔は名古屋にゆかりの深い建築家の鈴木禎次によって設計されました。
ローマ様式で意匠性にすぐれた噴水塔は『鶴舞公園』の象徴的な景観になっています。

▲当時の形のまま残る貴重な噴水塔。奥には『名古屋市公会堂』が見える。

この日も公園に訪れた親子連れや、同じように写真を撮っている人が噴水塔の周囲に何人かいました。

奏楽堂

こちらも初代は鈴木禎次による設計。ドーム型の屋根が特徴でルネッサンス風の円形の舞台です。

▲現在の奏楽堂は1910年当時の面影を見事に再現しています。

残念ながら当時のものは戦前の室戸台風で崩壊し、形を変えて再建されました。
さらにその後、初代奏楽堂の復元工事が行われ、現在見られるものは3代目となります。

▲奏楽堂の周りにあしらわれた楽譜。

手すり部分の楽譜が建物の用途を表しています。
君が代の楽譜なのだそうです。

貴賓館

かつて共進会で使用された貴賓館も名古屋市に寄付されましたが、戦災によって失われてしまいました。
その後、貴賓館のあった吉田山周辺には野球場がつくられました。

▲当時の貴賓館とは少し場所が異なります。日曜日なのでにぎわっていました。

現在では『鶴舞公園』の南側に『テラスポ鶴舞』がオープンし、市民のスポーツの場になっています。

名古屋市図書館100周年!図書館のルーツは鶴舞にあった

▲中部建築賞を受賞した『鶴舞中央図書館』の外観。

現在、名古屋市内には21館の図書館があります。
各管区に1館以上の図書館があり、他の区の蔵書も貸し借りが可能です。

『鶴舞公園』に『市立名古屋図書館』が開館したのは、1923年(大正12年)10月1日のこと。
今年(2023年)でちょうど100年を迎えます。

その前身となる『私立名古屋図書館』は、さらに歴史を遡り、1913年(大正2年)にスタートしています。
この『私立名古屋図書館』は共進会の建物を活用し、一般市民も利用することができました。

当時の図書館は戦災により焼失してしまいますが、戦後に復興し、1960年代には『名古屋市鶴舞中央図書館』に改名。その後、各地域に分館が増えていき、知の一大ネットワークが市民に提供されています。

これからの名古屋市図書館ーアクティブ・ライブラリー構想


名古屋市が運営する図書館を再編成する「アクティブ・ライブラリー構想」が策定されています。

こちらは名古屋市内の図書館を5ブロックに分け(中央図書館を除く)、エリア内の図書館の規模を再編成するというものです。

まずは、施設の老朽化が進んでいる「名東区」「千種区」「東区」「守山区」から整備される方針です。

アクティブ・ライブラリー
コミュニティライブラリー
スマートライブラリー

この計画では各ブロックにアクティブ・ライブラリーは1館、その他の分館がコミュニティライブラリー、もしくはスマートライブラリーになるというものです。また、アクティブ・ライブラリー以外は民間の指定管理者が運営することも検討されています。

計画通りに整備されると、アクティブ・ライブラリーは各ブロックに1つずつとなるので、現在の規模に比べると、図書館規模が縮小してしまうことを懸念する声も上がっています。

利用者の減少、予算確保の問題、施設の老朽化などいくつもの課題が重なっているのでやむを得ない施策かもしれません。

しかし、図書館は誰でも気軽に利用でき、インターネットではアクセスできない情報の宝庫です。それらの知的な財産が、人を育て、これまでの名古屋を作ってきたのだと思います。
今後の図書館を取り巻く環境がより良い方へと進むことを期待したいです。

アクティブ・ライブラリー構想については名古屋市役所のホームページでも公開されています。今後の動向にも注目です。

土地のルーツを探す散歩で、未来に思いを馳せる

▲ルネサンス様式の美しい屋根が明治期の絢爛な雰囲気を今に伝えています。

今回は昭和区「鶴舞」駅すぐにある『鶴舞公園』の歴史を掘り下げながら、実際に散歩をしてみました。

いつも何気なく歩いている場所でも、100年前の人々の営みが街を作っていまに至っているのだと思うと、不思議な感慨を覚えます。

とくに『鶴舞公園』の場合は「関西府県連合共進会」や精進川の改修という名古屋の一大事業とも深い関わりがあるので、当時を知るものも残されています。

皆さんもいつも通る道のルーツに思いを馳せながら、ナゴヤのまちを散歩をしてみてはいかがでしょうか。

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イトウユキコ
1990年 名古屋市出身・在住。ギャラリー運営を経て、ライター・編集者に。ほかにナゴヤでまち歩きなどのイベント企画も。地域の文化や産業など、街の文脈を伝えることがライフワーク。セトモノの街・愛知県瀬戸市で地域プロジェクトにも関わり、書くことを軸にローカルを楽しむ人。