伝説の超ナゴヤ人に訊く

伝説の超ナゴヤ人に訊く【緑区徳重】巨匠・小津安二郎に憧れて。珈琲専門店『Cafe Lillian』店主 堀場俊男さん

地元の住み心地は、地元の主に訊くのが一番!穏やかな心を持ちながら、激しい地元愛によって目覚めた名古屋最強の伝承者。それが〝超ナゴヤ人〟だ!
『伝説の超ナゴヤ人に訊く』第12回は【緑区徳重】です。

『Cafe Lillian』店主 堀場俊男さん

店主とお母様のお二人で経営されている小さな喫茶店『カフェリリアン』。

▲アンティーク感のある外観

席数は多くなく、数人が座れるカウンターと、中央に大きなテーブルが1つ、柔らかい光が差し込む窓際のコーナーには壁付けのソファに1人掛けの椅子がいくつかと小ぶりなテーブルが6つ。

▲朝の光が柔らかく差し込むスペース。窓の外の小庭を眺められる席が気に入りました

モーニングサービスはありますが、ランチの提供はありません。

店内はシックな欧風のインテリアで、視線は低め。まるで実家に帰ったような落ち着いた空間です。
そのせいか、滞りがちな執筆作業も捗ります。

珈琲は癖がなく、とても飲みやすい。ブラックが苦手な人も飲めそうなくらい軽やかです。
そして、作業に没頭してしまい少しぬるくなった珈琲も、まろやかで飲みやすいのが印象的でした。

こだわりのインテリアの理由

ーー朝はこちらで作業をしていたのですが、とても落ち着く空間で、作業やおひとりさまの時間に没頭できました。特徴的なインテリアはどのようなコンセプトなのでしょうか。

この店は、映画監督の巨匠である小津安二郎さんの世界観を取り入れたインテリアになっています。

あまり派手な作品はないですが、ローアングルで「日常」を切り取る独特の表現スタイルで、世界的にも評価の高い方です。

僕はもともと、小津監督に憧れて映画の世界に入りました。

批判されたり世間の評価が見合わない時も、自分のスタイルを曲げずに貫く、それが後の世界的にも評価されるようになったんですよね。

僕はそういう監督の生き様に惚れて、大ファンになりました。

でも、なかなか厳しい世界で、道半ばで諦めることになってしまってね。

ただ、その後喫茶店を開くことになって、お店のインテリアには小津監督の映画の世界観を徹底的に取り入れようと思いました。

小津監督は当時としては比較的背の高い方だったそうですが、このカウンターは小津監督の身長に合わせて作ってあります。舶来品が好きな方だったそうで、格調高い欧風のデザインなんかも取り入れています。

他にも色々とこだわりのポイントがあるんですよ。

インテリアだけでなく、生き方とか考え方も参考にさせてもらっています。

▲小津監督の身長に合わせてオーダーしたカウンター
▲どこか懐かしさの漂うガラス扉
▲味のあるランプシェード

映画監督 小津安二郎

日本の映画監督、脚本家。日本映画を代表する監督のひとりであり、サイレント映画時代から戦後までの約35年にわたるキャリアの中で、原節子主演の『晩春』(1949年)、『麦秋』(1951年)、『東京物語』(1953年)など54本の作品を監督した。ロー・ポジションによる撮影や厳密な構図などが特徴的な「小津調」と呼ばれる独特の映像世界で、親子関係や家族の解体をテーマとする作品を撮り続けたことで知られ、黒澤明や溝口健二と並んで国際的に高く評価されている。1962年には映画人初の日本芸術院会員に選出された。  ーWikipediaより引用

▲Wikipediaより

店名の由来

ーー店名も小津監督にゆかりのある名前なのでしょうか。

お店の名前は、女優の「リリアン・ギッシュ」から拝借しました。

彼女は映画女優の先駆けと言われる方。

当時は舞台女優が格上、映画が格下とみられていた時代に、映画の世界に賭けて頑張ってきた方です。

小津監督と同じように、自分の信じたことを曲げずに貫くという姿勢に共感したんです。

▲店舗入り口にはリリアンギッシュのポスターが。アンティーク風のランプも素敵。

女優 リリアン・ギッシュ

アメリカ合衆国の女優、映画監督である。サイレント映画時代を代表する映画スターであり、映画女優としてのキャリアは75年間に及ぶ。D・W・グリフィス監督作品で清純可憐な役柄を演じたことで知られ、「アメリカ映画のファーストレディ(The first Lady of American cinema)」と呼ばれた。 ーWikipediaより

▲Wikipediaより

カフェを開いた理由

ーーお店はいつ頃開店されたのですか?開店にまつわるエピソードがあれば教えてください。

これがまた、不純な動機なんですよ(笑)

映画の世界から離れたあとは、実家の母が経営する大須の花市場で働いていました。
家族なのでほぼボランティアという形でしたが、それまで好き勝手させてもらったのでね。

ところが、全然知らない世界だし、どうにもこうにも朝が早くて仕事が辛い。つまり合わなかったんでしょうね。

そんなある日、コーヒー屋の車が目の前を通ったんです。

「そうか、コーヒー屋はモーニングがあると言っても花屋よりは遅いんだ…」

ふとそう思い立って、その車についていきました。
そこで「明日から修行させてください」とお願いして、そのまま弟子入り。

めちゃくちゃですよね(笑)

ただ、なんだかんだそこからその店で5年間珈琲の焙煎の修行をして、20年前にこの店を開きました。

珈琲の仕事も辛くなかったわけではないですが、それこそ、小津監督の生き様に励まされて頑張ってこれました。

でも、こうやって続けてこられたということは、やっぱり性に合っていたんでしょうね。

▲癖のない珈琲はぬるくなっても美味しい

こだわりが人を創る ランチ営業をやめた理由

ーー口コミでたくさんの高評価がついていたので、実際に訪れてみてすごく小ぢんまりした落ち着いた空間だったことに驚きました。そこもこだわりでしょうか。

お店は母と2人で経営しています。

バタバタするのは性に合わなくて、時間がかかっても自分で提供したいという思いがありますね。

流行りの食材を使ったメニューをたくさん作るよりも、「いつものやつ」を落ち着いて楽しんで欲しいというか。それが「日常」だと思うんです。

以前はランチの提供もやっていたんですが、コロナ禍を機に思い切って辞めました。

というのも、自分の店に僕が焙煎した珈琲を卸して欲しいというお客様が増えて、発送作業が大変になってきたんです。
ランチの提供をやめたことで、以前よりもそのようなニーズに対応できるようになりました。

そして、ランチをやっていた頃よりもむしろ経営は安定するようになりました。

僕としても大きな賭けではありましたが…
ただ、これも小津監督の生き様が影響しているというか。

自分のやりたかったオリジナル珈琲の焙煎に集中することで、むしろ自分の価値を高めることができた。自分のやりたいことにまた一歩近づけたと思っているんです。

「ランチやってないの?」と聞いてくださるお客様もいるので、心苦しい気持ちはあるんですけどね。

珈琲の焙煎って、とても孤独な作業なんです。

どこの店も一緒かもしれませんが、豆を選んで一生懸命焙煎して、どこまでもマニアックな世界。誰も褒めてくれませんしね(笑)

あくまでお客さんの「美味しい」でしか評価されません。
どこまで極めるかという「加減」も難しい。

僕は不器用なので、いろんなことを同時にはできません。

だったら、自分にできることを一生懸命やることにしたんです。

▲いろんなことに手を出すよりも、自分の道を極めたい。小津監督が目の前に座っていると想像すると、今日も1日頑張れる。

半年くらい前に、知り合いの映画関係者の繋がりで、小津監督のお弟子さんだった俳優さんが、奥さんと一緒にお店にきてくださったことがあるんです。

その方が、「小津監督が生きていたら、君を息子みたいに可愛がっていたと思うよ」と言ってくださった時は涙が出るほど嬉しかったですね。

徳重という町

再開発による発展は嬉しい誤算でした

ーー徳重という街についての印象を教えてください。

もともと僕は豊明出身なんです。このあたりの地理には詳しかったので、この辺で店を出そうと思っていました。

だから、「再開発で将来人が増えることを見込んでオープンした」というわけではないんです。
むしろ全然逆で、コーヒーの焙煎は騒音も出るので、名古屋の中心部よりは郊外がいいなと思っていたくらいです(笑)

今となっては素敵なお家がたくさん建って「若い人に人気の住宅街」という街になりましたが、以前は一面ぶどう畑が広がっていたそうです。

この10年でも、『ヒルズウォーク徳重ガーデンズ』ができたり、目の前の道(県道56号線)が行き止まりだったのが岡崎方面まで繋がって、交通量もかなり増えましたね。

当然お客さんも増えて、新しく引っ越してこられたファミリーにも立ち寄っていただけるようになりました。開店当初のイメージや思惑とは全く違いますが、とてもありがたいことです。

客層も変わり、新しい人が増えることはチャンスに繋がりますしね。

忘れられない創業当時のお客様たち

ただ、創業当時に近所のおじいちゃんやおばあちゃんにたくさん通って頂いたことは、今でも大きな心の支えになっています。

当時はこの辺もお店が少なかったので、「がんばってるね」とたくさんの地元の方が来店してくださいました。

実は、葬儀屋さんから「ご遺族がリリアンのモーニング(たまごトースト)を故人の棺桶に入れたいとおっしゃっています」と相談されることがあるんです。それも1回や2回じゃなくてね。

「最後の晩餐」っていうんですかね。味がどうこうだけじゃなくて、時間とか空間がだと思うんですよね。
それくらい居心地の良い空間を提供できていたということですから、とてもありがたく思います。

小津監督の名前は一切出していないけど、目指していた空間というものがきちんと伝わったんだなと思いました。

徳重は多くの人にとって「若い家族が多くてこれから発展していく街」という印象が強いと思います。

ただ、僕にとっては、珈琲屋としての自分を支えてくれた温かいおじいちゃんおばあちゃんがいる街でもあるんですよね。

▲「最後の晩餐」として地元の人に選ばれるたまごトースト。 10月から瑞穂区の銘店『プーフレカンテ』のパンを使っています!

編集後記

取材の中で印象に残った堀場さんの言葉。

「常にいっぱいいっぱいで、余裕なんか全然ないですけどね。」

余裕のある人に「生き様」は出ない。
余裕がないくらい一生懸命やっているからこそ「生き様」が現れるのだと思います。

若い頃に憧れた映画監督の生き様を、全く別の場所で全く別の形として表現されていることに、とても感動しました。

「新しい街」という印象がある「徳重」で、歴史と深みのある人生の話を聴けたことは、私にとっても嬉しい誤算。

新興住宅地というと、どうしても「新しさ」ばかりを追い求めてしまいがちです。
古さや侘び寂び、歴史や風合いにコミットした空間があることは、街の財産といえるのではないでしょうか。

▲窓際の小庭で見つけた可愛いウサギさん

『Cafe Lillian』店舗概要

住所:名古屋市緑区鶴が沢1-2409-1
TEL:052-875-0057
営業時間:月・火       11:30 – 18:00(ラストオーダー17:30)
木〜日・祝  8:30 – 18:00(ラストオーダー17:30)
定休日:火・水

ABOUT ME
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veronica
名古屋在住の不動産ライター。方向音痴の宅建士。大学卒業後不動産仲介営業を経験し、結婚で名古屋に転居。現在はポータルサイトで不動産コラムの執筆や企画などを中心に活動中。自称和装が似合うマダム。高校生と小学生のママで、星野源が好きです。