私、名古屋に住めませんか?

【小説】私、藤が丘に住めませんか?東本朱莉物語|オッキー

2月初旬。藤が丘駅の改札口を抜けて外に出る。記憶の中にある景色とは大きく違っている。

藤が丘駅は名古屋市営地下鉄東山線の終点、愛知高速交通東部丘陵線(リニモ)の起点であり、駅周辺には若者からスーツ姿のサラリーマンまで多くの人で溢れている。

「車での移動が多いから久しぶりだな、ここを歩くの。あれ? 確かここはパチンコ屋さんだったような。あ、あのコンビニは……」

朱莉は昔の記憶を思い出しながらゆっくりと歩いた。

*  *  *

「緊張するー」

東本朱莉、高校三年生の冬。大学受験のため愛知県に来ていた。

藤が丘駅のバスターミナルから大学へと向かうバスを待つ列に並び、カバンを開けた。ふと、ペンケースが見当たらないことに気が付いた。

「確かに入れたはずなのに!」

どうしよう。腕時計を見ると、バスの出発時刻まで10分弱。

列から離れ、周囲を見回すがコンビニが見当たらない。

見知らぬ土地での緊張もあり、涙が溢れてきた。

……

「どうしたの?」

道の真ん中で立ち尽くし、制服の袖で涙を抑える朱莉に、一人の女性が声をかけてきた。グレーのスーツにコートを羽織り、長い髪を束ねている。

「あの、この辺にコンビニはありませんか?」

「コンビニならそこの道を入ってすぐのところにあるわよ。ここから見えるでしょ」

あれ、本当だ。パニックになっていて気づかなかった。

「ありがとうございます!」

横断歩道を渡り全力疾走する。

*  *  *

急いで筆記用具を買い揃えてバス停まで戻ったが、バスはすでに出発してしまっていた。

タクシーに乗るお金はない。頭が真っ白になり、その場に座り込んだ。

「アナタ、大丈夫? もしかしてバスに間に合わなかったの?」

朱莉の肩に誰かの手が触れた。顔を上げるとコンビニの場所を教えてくれた女性が屈みこみ、朱莉の顔を覗き込んでいた。

朱莉は無言でコクリと頷いた。

「仕方ないなぁ」

女性は朱莉を立たせると、手を引っ張って歩き出した。

着いた先は駐車場。「あなたの賃貸屋さん」と書かれたステッカーが貼られている一台の車を指さす。

「乗りなさい」

そう言って女性は車に乗り込んだ。

朱莉は泣きながら、助手席に座った。

*  *  *

「混んでるわね。迂回してあの道から抜けて……」

車は大通りから外れ、脇道に入る。

30分ほどで、朱莉が受験する大学に到着した。

女性は車用時計をチラリと見て「ふーっ」と一息つくと、カバンを抱えて助手席に座る朱莉に優しく語りかけた。

「間に合ったでしょ。ほら、アナタが乗るはずだったバス」

うつむいていた朱莉が顔を上げると、女性は得意気な表情。視線の先を見ると、乗り過ごしたバスがやってきた。

「すごい!」

朱莉は感嘆の声をあげた。

「ふふっ。不動産屋たるもの商圏の抜け道は頭に入っていないとね。さ、早く行かないと遅れるわよ」

「あの、お名前と連絡先を」

「んー、じゃあこれ。受け取って」

女性は後部座席に置かれたパンフレットを手に取り、名刺とともに朱莉に渡した。

「試験に合格して、藤が丘でアパートを探すことになったら連絡して。藤が丘に住んでるってだけでモテるんだから。オシャレなお店がいっぱいあるしね。春にはさくらまつりもあるんだよ。屋台も出るし、フリーマーケットも……あ、ごめんごめん」

女性は照れくさそうに笑った。つられて笑う朱莉。いつの間にか不安や緊張は無くなっていた。

名刺とパンフレットを大切にカバンに入れ、車から出た。女性に深くお辞儀をして、試験会場へと向かった。

後ろから「頑張ってね!」という声が聞こえてくる。何度も振り返り、手を振った。

不動産屋さん……。テレビとかで見る不動産屋さんとはイメージが違うな。ちょっとカッコイイかも。

*  *  *

今思えば、言われるがまま車に乗ってしまって、悪い人だったら危なかったな……。

朱莉は苦笑いしながら歩を進め、目的の建物に着くと看板を見上げた。

「あなたの賃貸屋さん」

今日は管理物件の案内をさせてもらうため、鍵を借りに来たのだ。

大学生活を満喫した後、地元に戻って就職した。しかし、縁あって今は名古屋にいる。不動産業界にいるのも縁なのかも。

そうだ、藤が丘に住んだけれどあんまりモテなかったな。今さら文句を言ったら、どんな顔をするかしら。そう思うと笑いがこみあげてきた。

ふと後ろを振り向く。道路向かいに見える大学行きのバス乗り場に列ができている。学生服姿の男女。

「そっか。今日なのね」

無事に大学受験を終えて、藤が丘で素敵な学生生活を迎えられますように。

END

登場人物紹介

東本朱莉(ひがしもとあかり)……大手不動産会社の営業ウーマンだったが、上司に回し蹴りをかましたことで、グループ会社へ転籍になった。そこで出会った三浦とともに会社の不正を内部告発した。現在は三浦不動産の営業スタッフ。

※本投稿はフィクションです。実在の人物や団体などとは少しだけしか関係ありません。また、当然ですが見知らぬ人の車には乗らないようお気を付けください。

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オッキー
静岡県生まれ。宅建士・FP1級・Kindle作家。ツイートにリプするかどうか30分迷ったあげく、スマホを閉じる小心者。不動産屋さんの仕事を舞台にした小説「私、家持てませんか?土方エステート営業日誌」全3巻+外伝がAmazonで販売中です。性別確認のDMはダメ、ゼッタイ。