delaDESIGNERS

delaDESIGNERS「シンカ」のデザイン/株式会社BERITA 代表取締役 青山紘由己さん [一級建築士]

HIROYUKI AOYAMA [architect]

今や〝デザイン〟とは、形だけの美しさや機能性のみを意味する言葉ではありません。デザインの本質である「気遣い」や「思いやり」を自らの仕事に反映しカタチに変えている仕事人をデザイナーとして捉え、紹介する新企画『delaDESIGNERS(デラデザイナーズ)』。消費者でしかない私たちが普段接することのない〝作り手〟がどのような考えでものづくりと向き合い、今後どこに向かっていくのか?そんな〝デザイン〟に携わる方々の人となりや人生、キャリアを掘り下げることで、現在のナゴヤを形作るデザインの系譜とその真髄に迫ります。第1回は、名古屋で唯一無二の高級分譲住宅を提供している株式会社BERITAの代表取締役であり、一級建築士でもある青山紘由己さんにお話を伺いました。

■text&interview:oukiVeronica(2023.2)

キャリアスタートは店舗設計から

ー―まずは青山社長の一級建築士としてのキャリアスタート時のお話からお聞かせ下さい。

設計事務所って、実は大学でも賞を取ったりしていないと入れないような狭き門なんですよ。僕の場合はたまたま幼馴染が設計事務所に勤めていたので、新卒後はそこに就職して可愛がってもらいました。

名古屋でも有名な設計事務所で、メインは有名なスーパーや小売店といった主に商業施設の設計です。たった10人の設計事務所で、とても忙しかったですね。

商業施設の設計というのは、動く金額が大きい。だから、基本的には決定権のある人と打ち合わせになります。つまり、大学出たばかりの若造が打ち合わせに行ってみると、相手は基本的に社長さんなんですよね。

23〜24歳の若造が、みんなが知ってるようなお店の社長さん相手に会議で説明するわけですから、ガチガチに緊張しました(笑)。

年間70〜80人の起業家や社長さんと話をして、「設計の仕事は経営に直結する」ということを学びました。

お金の仕組み・店舗運営・流通、スタッフの組織などがわかっていないと設計できない。有名企業の社長が、直接そういう話を若造の僕に教えてくれたわけです。

その中で「この人はきっと成功するな」という感覚が分かるようになってきます。いつか自分が経営者になったら真似しよう、とぼんやりながら考えていましたね。

そこで聞いた色々な話は、今でも僕の一番の肥やしになっています。

――若い頃から実力ある経営者の話を直接聞けるというのは人生経験としてかなり大きなインパクトがありますよね。設計士の仕事を最初からそのように捉えられている方は少ないように思います。その後は、どのような設計に携わってこられたのでしょうか?

以前にこういうインタビューを受けた時は、田村設計という会社でパチンコ店の設計をしていたんですよ。パチンコ店というと、もともとはアンダーグラウンドなイメージがありました。建築業界としても、大手の会社は消極的だったんですよね。そのため、パチンコ業界の方でも、イメージアップを図る必要があった。そういう時代でした。

その会社が北海道のパチンコ店の店舗を作った時に、「建築年鑑」という著名な建物を載せる本に掲載されたんですね。これは日本建築家協会(JIA)というところが出版していて、その年に建てられたお手本のような建物が載っている本です。そこでトイレや待合室、飲食スペースなどが充実した「アミューズメント施設」として紹介されました。その辺りから、きれいな建物になることで、パチンコ店のイメージもどんどん変わっていったんですよね。女性が入りやすくなったりね。

その後、規模もどんどん大きくなって、徐々に大手のゼネコンさんも工事に関わってくるようになってきました。一番大きな工事では100億円くらいかな。

それが37歳くらいの頃です。

▲パチンコ店の設計に携わり、業界のイメージアップに貢献。しかし、労働環境はめちゃくちゃ過酷だったそう。

商業施設の設計から住宅の設計へ

――業界のイメージが先行して尻込みしてしまいそうな仕事でも、設計士の志次第ではそれ自体をも変える事ができるんですね…。しかしそれ以前に店舗設計というと、とてもハードワークというか、非常に過酷な世界という印象もあります。実際のところはいかがでしたか?

仰る通り、実際にめちゃくちゃ過酷な世界です(笑)。当時は働き方改革なんてないですからね。まさに「24時間戦えますか?」の世界です。夜中の2時が定時で、そこから残業みたいな世界。週に3日か4日は泊まりみたいな。

住宅と商業施設では、時間やお金の流れが全く違うんですよ。設計費用は建築費総額の10%。商業施設が10億円、住宅が8,000万円の場合、かける時間やコストと利益のバランスが変わってくる。

やりがい以前に、同じやり方では経営が回らないということですね。ただ、商業施設はどうしても景気に左右されます。

自分が住宅に関わることになったのは、田村設計の後に転職して当時働いていた会社が、諸事情により解散することになってしまったからなんですよ。仕事が必要でね(笑)

それで自宅の近くで、当時分譲住宅を販売している会社に入社しました。それが40代前半ですね。


――そんな紆余曲折があったんですね…。しかし、その後に入社したのが、名古屋市内でも高級分譲住宅で指折りの有名な会社だったんですよね。

そこからだんだん高級分譲住宅を販売するようになりました。当時は木造の「も」の字もわからなかった。それまで鉄筋コンクリートや鉄骨造の施設ばかりやっていたので。分譲住宅の仕組みはそこで学びました。

で、これはとても言いにくいことなんですが…住宅業界というのは、実はすごく「杜撰な業界」なんですよ。

――おっと…だいぶヘビーな内容になりそうですね。ワクワクしてきました(笑)

建築基準法の中には、1号建築物〜4号建築物までがあります。1号はいろんな人が使う公共の建物で、当然大きな建築会社が担当します。施工図も膨大な数の図面を書きますし、しっかりとした管理が求められる。

ところが、人が暮らしのベースとする4号建築物(住宅)は1〜3号建築物と比べて最も緩い基準。公共施設や商業施設を建てる時に必要な工程がかなり緩和されています。だからこそ、かけるお金や時間、規模が全然違うんですよね。

それまで商業施設の建築に携わっていたわけだから、初めて木造住宅に携わって、住宅業界の「建物」の扱いに正直目を覆いました。

例えば、木造住宅の設計士さんは法規を良く理解していないことも多いんです。正直「本当に資格を持っているの?」と疑いたくなるような設計士ばかりです。

でも、本来住宅というものは「人生の中で一番長い時間を過ごす場所」なんです。多くの人が35年もの長期ローンを組んで、一生に1回か2回と思って購入するものですよね。

「こんな扱いでいいの?」と。もっと『ちゃんとしたもの』を提供したい。この業界の『当たり前』をなんとかしたいと思い始めました。

「BERITA」の思い

――それがBERITAブランド誕生のきっかけなんですね…。BERITAでは、最初から分譲住宅の設計施工をしておられるのでしょうか。

いえ、住宅の会社を辞めた後、またパチンコ店の設計をやっていた設計事務所に移ったんです。その事務所を引き継いで「青山都市設計」と名称変更しました。(事務所の登録名は「casa MODERNA」)

実は、BERITAはもともと、うちの妻が宝石の取引をするために作った別会社でした。妻のお客さんの中で、夫の僕が設計士だと知って「家のリフォームやってくれないか」「家の設計やってくれないか」と依頼してくれて。その仕事がだんだん増えて、今やメインになったと。

――最初から住宅専門の会社だったわけではなく、だんだん住宅の比率が上がってきたということなんですね。

そうですね。BERITAが分譲住宅に本腰を入れ始めたのは、実は3年前からです。有名なビルダーさんで高級住宅をプロデュースしていた方に入社してもらうことになり、本格的にやることになりました。

1年目は仕入れで終わって、2年目でやっと売り上げができて、今年から回転し始めた形です。

▲最初は個人的な依頼から始まり、口コミから評判になり、今やメインの事業に発展した住宅事業

ー―商業施設の設計で得た経験が住宅への思いに繋がっているとのことですが、BERITAのコンセプトはどのようにお考えでしょうか?高級住宅を分譲する他のパワービルダーと、どのような違いがあると思いますか?

BERITAは「普通の住宅設計士ができないものを造ろう」ということがコンセプトです。

基本的にパワービルダーは抱えている社員の数が多いから、数をこなさなきゃならないですよね。1棟1棟にこだわることができません。

うちは年に10〜20棟しかやらないからこそ、こだわって創ることができます。

多くのビルダーさんに共通することですが、実は社内にちゃんとした知識のある技術者がいないことが多いんです。例えば、大規模な造成工事や、地下に車庫を作るような工事には対応できないことがある。

また「構造計算」ができないと、自社で耐震等級3(※1)を取得できません。構造計算事務所に外注していることがほとんどです。

他にも、「天空率(※2)」という建物の高さ制限の規制緩和があります。計算は複雑ですが、従来よりも大きな建物が建てられるようになりました。にもかかわらず、設計士から「できない」と言われることが多々あるんです。ハウスメーカーでも「別料金」と言われたりするらしいです。

知識のない設計士に頼むと、その土地に建つはずの建物が建たないんです。

その土地のポテンシャルが最大限に発揮されない。
ということは、せっかく買った土地という財産を無駄にしてるのと同じです。

※1:住宅の性能表示制度を定める「品確法」に沿って制定された、地震に対する建物の強度を示す指標。耐震等級1は建築基準法の基準を満たすもの。耐震等級2はその1.25倍。耐震等級3は1の1.5倍揺れに耐えられる。(熊本地震では、震度7クラスの地震が2回襲ったものの、耐震等級3の建物はほとんど被害が出なかったことで、その有効性が証明された。)

※2:従来の道路斜線制限、隣地斜線制限、北側斜線制限等の規制緩和。斜線ではなく、ある位置から見たときの建物と空の比率で判断する。視点の位置に仮想の半球を想定して天空図を作成するため、複雑な計算が必要となる。

▲知識のない設計士に頼むと、その土地に建つはずの建物が建たないんです。
▲「その土地のポテンシャルを最大限に活かせなければ、財産を無駄にすることと同じ」

「できない」ではなく「なんとかする」のが設計士の仕事

――住宅の販売に関わっていると、確かに「できない」と言われることは「あるある」ですね。それをやり抜いておられるのが本当に凄いです。

いや、本来はこれが最低限で普通なんですよ。建築業界全体では当たり前のことが、住宅業界では疎かにされてきたわけです。

建築基準法の一番最初にある「目的」という項目。そこには「国民の財産と健康を守ることを目的とする」と書いてあります。一番最初に務めた設計事務所の所長に、これを大事にしなさいと言われました。

財産を守るというのは、まさにそういうこと。
設計士が建つはずの建物が「建たない」と言ったら終わりじゃないですか?

うちの事務所には、最新の関係法令緩和を最大限利用できる柔軟性、対応性を持った設計士たちがいます。有名ハウスメーカーの設計士にもできない提案ができるという自信があります。

当然構造計算もやるし、天空率計算もやるし、設計も1から10までやります。基本的に「できません」とは言わないし、「なんとかする」方法を考えるのが設計士の仕事だと思っていますから。

▲「できない」ではなく「なんとかする」

良いデザインには〝根拠〟がある

――いわゆる「デザイン」についてはいかがでしょうか?商業施設の設計時代にはデザイナーさんとのやりとりもあったのではないでしょうか。

僕は基本的に設計畑なので、「設(しつらえ)」というものにこだわりたい。だからこそデザインが大事だなぁと思うんですよ。住宅というものに固執されてしまってデザインが萎縮してはいけない。法的な規制もありますから余計にね。

僕が仕事で関わってきた店舗デザイナー達は、『知識の量』が全然違いましたね。ちゃんとデザインの勉強をしている人は、基礎ができているんです。自分勝手な感性だけ描いても多くの人の同意は得られない。そういうデザイナーさんのデザインはやっぱりいいんですよ。

ただ見栄えがいいというだけはなく、そこには根拠があるんです。

極端な話ですが、デザイナーは「宙に浮いているような建物」を平気で提案してきます。「これってどうやって作るの!?」というものも、諦めずにチャレンジして骨組みを考えていくのが真の技術者だと思う。そういう仕事がしたいんですね。

商業施設でも、同じ会社が設計すると同じような建物ばかりになります。だからデザイナーに依頼して800万くらいのデザイン料を払うし、模型も150万くらいかかりますが、もちろん価値があり、当たり前だと思っています。

住宅ではできないと分かっていても、僕はやりたいんですよ。わがままですね(笑)

従来の日本の住宅設計は、まず間取りを作って、それに対して外観を張り合わせていきますが、海外のデザインに触れたことのある設計士は、まず外観のイメージを作って、そこから間取りを区切っていく。日本の場合、どうしても建物が小さいのでなかなか難しいですよね。

例えば、住宅のデザインというのは、その建物のデザイン性だけではなく、街並みとの調和が大事になってきます。佇まいや風格というのは環境もセットで生まれるものですから。そのエリアの景観や四季の趣を理解して、素材や技術を提案していくことが必要です。

今は3Dで設計するので、3次元で外観イメージを見ながら設計していくことができるようになりました。

住宅の「中身」についても同じです。安心・安全な性能であることはもちろん、リラックスして過ごすためには快適であることも大切。例えば、家事のストレスが少ない回遊性のある間取り。これは生活導線が快適なだけでなく、風の道が増えます。空気や光が通る住まいになるんですね。

▲耐震強度を出すために必要な「梁」も、内装デザインのアクセントに
▲周辺の環境との調和や、時間帯ごとの表情の違いも「デザイン」の要素となる

自分が無知であることを知っているからこそ、探求していく

――他の住宅会社もBERITAみたいにつくってくれれば選ぶのも楽しくなるのに…(笑)でもマイホームとしてそういう住宅が欲しいと思うと、現状はあまり選択肢がないですよね。

そうですね。どうしてもお金かかるしね(笑)

設計士は石を投げれば当たるというほどいますが、基本的にほとんどが住宅専門。
僕は経歴が特殊だからこそ、僕にしかできない仕事がしたいと思っています。

こだわりが強いから低価格な建物はできないけど、「高いから売れない、買えない」では困りますよね。独りよがりでは良くないし、世の中に認めてもらって、お客様に購入して頂かないといけない。

設計士として面白いですよこれは。世に問うことができるじゃないですか。
これを認めてもらえるのか、認めてもらえないのか。毎回チャレンジしています。

――ここまでお話お伺いして、これほどの経験をお持ちでありながら、凄まじい探究心と好奇心をお持ちだなと…。今も勉強し続けていらっしゃる。

自分が無知であることを知らないと、人の役に立てません。楽をしようと思えば知らないことにすればいい。しかし、それだと自分の限界も決まってしまう。土地も、建物も、自分自身も、デザインも同じです。

可能性を信じているからこそ、出来ないことを出来るようになりたいわけですよね。

「シンカ」のデザイン

BERITAのホームページに、「シンカした住まいの美」というキャッチコピーがあります。

青山社長へのインタビューを通じて、この「シンカ」という言葉に、2つの意味を感じました。

ひとつは、前に進んでいく、変わり続ける、限界を決めずに成長し続ける「進化」
もうひとつは、自分にしかできないことや可能性を深く掘り下げ続ける「深化」

建築士であり、経営者であり、職人であり、デラデザイナーでもある青山社長。
探求することを諦めないその瞳は、まるで少年のようにキラキラと輝いていました。(了)

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veronica
名古屋在住の不動産ライター。方向音痴の宅建士。大学卒業後不動産仲介営業を経験し、結婚で名古屋に転居。現在はポータルサイトで不動産コラムの執筆や企画などを中心に活動中。自称和装が似合うマダム。高校生と小学生のママで、星野源が好きです。