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あつまれAEONの森【豊橋市】広小路一丁目北地区再開発予定地は元ジャスコ?!浦柴屋~JUSCO豊橋店~精文館書店本店に続く歴史を追う

こんにちは!あつまれAEONの森のイオえもんです。

今回のテーマは豊橋!イオえもんも豊橋と言えば、『ヤマサのちくわ』や『ブラックサンダー』に豊橋カレーうどん、路面電車などがすぐに思いつきます。名古屋とはまた違ったものを味わえる場所。

私も豊橋の方に行くとつい豊橋カレーうどんを食べたくなってします。

▲豊橋名物の豊橋カレーうどん。うどんの下にとろろご飯が埋まっている。

そんな豊橋の駅前は近年、元名豊ビル跡地にできた複合施設の「em CAMPUS(エムキャンパス)」や「ほの国百貨店」跡地など再開発が進むエリアとなっています。

【豊橋市】広小路一丁目北地区再開発

豊橋駅の東側にある商店街エリア「広小路一丁目」も再開発が進んでいて、精文館書店豊橋本店の入る「精文館ビル」や元アピタの「FACE豊橋」がある一帯を再開発することが決まっています。

▲赤枠が豊橋市広小路一丁目北地区   豊橋市HPより引用。

2024年3月22日の中日新聞の記事によると2029年完成を目指し23階建ての複合型高層ビルとなる予定。5400平方メートルの区域に1、2階を店舗、3~5階をオフィス、6階以上を居宅に充て、約90mの高さになるとのこと。

▲豊橋広小路一丁目北地区再開発のパース

個人的にも高層ビルや再開発について好きですが、みー@飛翔さんをはじめとした多くの再開発ブロガーの方々の方がより詳細に内容を紹介していると思うのでこれ以上は割愛します。

初代ジャスコ豊橋店跡地

上記で紹介した広小路一丁目北地区再開発で取り壊される精文館ビル2は実は元ジャスコの建物なのはご存知でしょうか?

▲赤く塗りつぶした部分が元ジャスコの精文館ビル2

精文館ビル2は1967年築の建物で元々は『浦柴屋』という衣料スーパーのビルだったものです。その後ジャスコの前身である岡田屋が1968年に浦柴屋を買収し『初代ジャスコ豊橋店』として営業していました。しかし1970年代に入ると豊橋駅前にはユニーやダイエー、長崎屋などの大型スーパーの出店も相次ぎ、ジャスコは1979年に豊橋市駅前から郊外へ移転します。その後1980年に精文館書店が建物を取得し現在の精文館書店本店となりました。

▲袖看板からマクドナルドまでの建物が元ジャスコ。隣接する建物とつながっているため分かりづらい。

1979年豊橋市前田南町に移転した2代目ジャスコ豊橋店も2006年まで営業していましたが現在は閉店。建物は建て替わりバロー豊橋店になっています。

▲店内にはイオングループのキャンドゥ。建物の向いにはミニストップがある。
▲イオン豊橋南店 地元ではなんじゃすの愛称で知られる。

豊橋市内のイオンは2024年現在イオン豊橋南ショッピングセンター(イオン豊橋南店)のみ。このイオンは市内からは遠く離れ電車でも行きにくい場所にあり、駅前から郊外へ移転を繰り返してきた豊橋のジャスコの歴史は郊外型店舗で成長してきたジャスコの典型例にも見える。

店内の様子

1979年4月に初代ジャスコ豊橋店が閉店してすでに45年が経過しているためどこまでが元ジャスコや浦柴屋の痕跡なのかはもはや分からないが入口のドアノブやエスカレーター、階段など非常に歴史のある雰囲気を感じる。

▲精文館書店入口

店内は現役の本屋なのでもの改装されているので特別古い内装ではないが、天井は低く上りのみのエスカレーターという1960年代らしい設備が残っていた。

2024年に閉店した1969年築のイオン今池店も同様に上りのみのエスカレーターでしたね。

▲上りのみのエスカレータ-
▲店内奥にあるらせん状の階段も趣ある雰囲気。

『浦柴屋』の歴史

▲1968年元日の浦柴屋の広告

近いうちに取り壊される精文館ビル2や初代ジャスコ豊橋店の源流である浦柴屋の歴史についても触れていきたい。

『実例から見るこの店の繁栄要素第1人事管理編(著:誠文堂新光社商店界編集部 1965年出版)p262』によると浦柴屋の創業者は明治38年横浜で洋服仕立職になった鈴木柴蔵氏という人物である。鈴木柴蔵氏は職人のままだと病気になった時に営業ができないことから仕入れ販売でお店を大きくしていきたいと思ったこと、明治になり上流社会では舶来の下着を着始め将来一般大衆層にも洋服の時代が来ると考え、明治45年に地元の豊橋で商売を始めたのが始まりとされる。

▲左:大正15年頃、中:昭和3年頃、右:昭和11年出版の本の浦柴屋広告

浦柴屋の名前の由来は鈴木柴蔵氏の出身地が愛知県田原町字浦(現田原市)ということからその「浦」と自分の名前の「柴」をとって浦柴屋と付けている。

ジャスコになる以前はUとSを組み合わせたようなロゴを使用していて浦の「U」と柴の「S」からきていると思われる。

創業当時浦柴屋は新銭町(現花園町)に店舗を構えていたが戦災で店舗が焼失。戦後は魚町や駅前(現広小路のあたり)に店舗を出店し1967年現在の広小路の精文館ビル2の建物が完成しています。

一方その頃四日市の岡田屋は、姫路のフタギや、大阪のシロなどと合併で規模を大きくすために全国のスーパーマーケットに合併を持ち掛けていた時期(のちにジャスコとなる)。岡田屋は1965年の岡崎市出店につづき豊橋市にも進出できないか良い物件を探していたところ(1967年頃豊橋駅前の公民館跡地に進出を図ろうとしたものの不発になっている)、1968年にオカダヤと浦柴屋は業務提携し浦柴屋はオカダヤグループになった。

▲オカダヤと浦柴屋の業務提携の新聞記事

 

新聞記事やジャスコ30年史などで調べてみても浦柴屋とオカダヤとは業務提携や資本参加となっているが、『』によると実際ところは浦柴屋側の身売りで、豊橋財界人として知られていた当時の社長の顔を立てるために表向きは提携ということになったとのこと。

▲オカダヤグループ後の浦柴屋のチラシ。オカダヤとは名乗らず店名は浦柴屋のままなのが分かる。
▲1970年初頭のチラシ。店名にはジャスコと浦柴屋が併記されている。
1974年のチラシでは浦柴屋の名称はなくジャスコ豊橋店の表記に変わった。

老舗アパレルショップ:アンプルール

岡田屋やフタギ、シロなどと異なりジャスコの経営には参画しなかった浦柴屋。衣装スーパー浦柴屋の名前はもう存在しないかと言われればそうではないようで

実は1961年に浦柴屋からのれん分けされた株式会社エース浦柴屋という会社が現在も豊橋駅前で老舗アパレルショップのアンプルールというお店を営業されていました。

▲元浦柴屋があった建物から西に約200mの位置にお店がある。

居酒屋や飲食店が多い広小路の商店街の中に佇むおしゃれなレディースセレクトショップ。

私がお店を見に行った時は、入口の扉が開いていて店内に入りやすい雰囲気。

▲アンプルールの名前の由来はフランス語からきているとのこと

広小路の実店舗だけでなくネット販売の楽天市場でもアンプルールの商品を購入できるので皆さんも気軽に覗いてい見てはいかがでしょうか。

おわりに

今回豊橋広小路の再開発で新聞記事や再開発ブロガーの方々が取り上げていましたが、元ジャスコであることについて触れられる方が少なかったため記事にさせていただきました。

築50年以上で元浦柴屋という非常に歴史的な元ジャスコの建物が取り壊されてしまうことはイオンマニアからしたら残念ではありますが、豊橋の方からしたら街の賑わいを出すために建て替え・再開発は非常に期待あふれるものなんだろうと前向きに思っています。

だからことあと数年で無くなってしまう広小路の歴史ある建物が残っているうちに興味がある人は目に焼き付けて欲しいと思った次第です。

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イオえもん
1992年名古屋生まれ。2007年にイオンに目覚め、現在は医療従事者として働く傍ら東海地方のイオンを中心に全国飛び回っています。毎日イオンを補給したいがためにイオンの真横に引っ越したくらいのイオン好き。イオン好きの視点から東海地方のイオンの魅力を紹介していきます。