私、名古屋に住めませんか?

【小説】試験のお守り(『私、名古屋に住めませんか?』番外編)|オッキー

「パパなにしてるの? 遊ぼうよ」

 振り向くと、四歳の息子がお気に入りのおもちゃを握りしめて僕の部屋をのぞいていた。時計は二十一時を指している。息子はいつもならとっくに寝ている時間だ。

 そこへ、寝間着姿の妻がやってきて息子を抱き上げた。

「パパはね、お勉強してるんだよ。難しい試験を受けるんだから。試験が終わったら遊んでもらおう。さ、ママと寝ようね」

 抱っこから逃れようと抵抗する息子。

「いつ遊んでくれるの?」

 今にも泣きそうな声に胸が痛む。だが、試験は明後日だ。まだ万全とは言えない。時間が足りない。足りない……。

 焦る気持ちの中、「日曜日ね」と伝え使い込まれたテキストへ身体を戻した。妻とともに寝室へ向かう息子の泣き声が聞こえる……。
 
 一時間ほど経ち、妻が静かに勉強部屋へと入ってきた。息子は寝たようだ。

「お疲れ様」

 机に湯気の出ているマグカップを置いた。その横にもう一つそっと置かれたのは、「天神像御守り」。学問の神様を祀る名古屋三大天神、「上野天満宮」「山田天満宮」「桜天神社」を参拝し、絵馬に御朱印を集めることで授かることができる。

 合格祈願に行きたいと妻に話したことがあるが、結局行けずじまいだった。

「行ってきてくれたの? ありがとう。嬉しいよ」

 マグカップを手に取り口をつけた。ほろ苦いコーヒーが疲れた身体に染みる。思わず「ふーっ」と長く息を吐いた。

「あとね、これは私が作ったお守り。ここにつけとくね。おやすみ」

 白地に金の刺繍がされたお守りを僕のカバンにくくりつけた妻は、寝室へと戻っていった。

*   *   *

 いよいよ試験当日の朝。妻と息子に見送られて家を出る。

半年間、仕事と勉強だけの毎日だった。休日は資格試験の予備校に缶詰め。趣味のライブにも行かなかった。大好きなマンガも我慢した。多くを犠牲にして頑張ったつもりだ。自身を鼓舞するも、極限の緊張状態で吐き気が止まらない。

 試験会場へ到着し、早めに入室。パラパラとテキストをめくりつつ試験開始を待つ。その間、何度も深呼吸をした。

*   *   *

 試験終了の合図とともに、大きく肩を回す。全身の力が抜け、気持ちがスッと楽になっていくのを感じた。

 周りがざわつき出す中、遠くから僕の名前を呼ぶ声に気づいた。予備校で同じクラスの仲間たちだ。

「これからみんなで飲みに行いくんだけど、どう? 先生も来るよ」

 半年間勉強漬けだったし、いいよな。ここまで来られたのは、先生や仲間のおかげでもあるから。先生には改めてお礼を言いたいし。

 妻にメールを打つためにスマートフォンを取り出した。電源を入れると、メールの受信通知音が鳴る。受信時刻は試験開始の三十分前。そこには「パパ、頑張って」という文字と、息子がおもちゃを持って微笑む写真があった。

 言葉にならない気持ちが込み上げてくる。

 我慢してきたのは僕だけじゃなかった。いや、僕はまったく我慢していなかった。勉強できる環境を作ってくれた妻。そして、半年間ほとんど遊んでやれなかった息子。真っ先にお礼を言わなければいけない人がいる。一分一秒でも早く抱きしめたい人がいる。

 カバンに筆記用具を詰め込む。妻がくくりつけてくれたお守りが、まるで優しく微笑むかのように揺れた。

 「ありがとう。約束があるんだ。また今度誘って」仲間たちに軽く手を振り、大切な人が待つ場所へと向かった。

―朱莉メモ―
受験生の皆様、また受験生を見守る皆様。お疲れ様です。

END

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オッキー
静岡県生まれ。宅建士・FP1級・Kindle作家。ツイートにリプするかどうか30分迷ったあげく、スマホを閉じる小心者。不動産屋さんの仕事を舞台にした小説「私、家持てませんか?土方エステート営業日誌」全3巻+外伝がAmazonで販売中です。性別確認のDMはダメ、ゼッタイ。